ノースカロライナ日本人ブログ <続>またチキン食ってる〜チャペルヒル生活ブログ

関西育ち、英語力ゼロ 女子力ゼロの36歳女子がLGBT旦那ちゃんと、国際結婚してみた!NZのウェリントンでのワーホリを経て、今度はアメリカに住むことに!なったのは、いいけどいきなりノースカロライナかよ!

ついに!手術から!2週間がたった!!!
と言うことは、今までのこの重たかった足のピンクのグルグルギブスが取れると言うことなんです!

いやあ、なんだか長く感じた2週間だったなあ。実際の画像は、これ。まだまだ膝がボコボコ。
DSC_0302
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安定していたものの、ホチキスに肌を引っ張られる感覚は、もう・・・
気持ち悪かったな・・・あと劇的にかゆかった・・・
ホチキスあった場所1

病院について、ちょっとだけ待つと、処置室に連れて行かれます。

この間処置してくれた人と同じナースが対応。
「手術後どうだったの〜?見た感じあなたの怪我、稀に見る最悪だったからさ」と言われた・・・

「稀に見る最悪」とは、どの程度のことなのか・・・?確かにこの病院は軽傷者が多いとは思ってたが。
ドクターの診察前に、まず包帯を切ってくれます。

そして!ついに!グルグル巻きのベールが!今!放たれる!!!!!
先の丸いハサミで、ジョキジョキジョキジョキ・・・!
包帯の一番上は、シーネと言う固い素材で固定されていました。

そのあとは、コットン大量と、傷口を抑えるためのテープは、粘着力が血の力で弱ってました。
すっごい包帯とガーゼの量なので、ご開帳までに時間がかかり・・・
顔こそ隠してますが、表情はそのままです。
ホチキス
わ〜い、2週間ぶりに足が軽くなったぜ!と!一瞬思ったその時!
私を襲ったのは「やっば見なきゃよかった!」の一言でした。

すごい・・・なんか、縫われてた・・・・ショック。細くなってるし・・・
いや、なんか思ったより、縫われてた。想像した位置よりも結構上の方まで縫われてて
皮膚に直接ホチキスされていたのがショックでした。
ギブス切ってみたら
まあ、7針くらいやろ、左2針の右が5くらいやろ。と思ったけど、倍以上はある。
ここでジェームス登場。手術後のレントゲンを確認していきます。

「・・絶句・・・!」

この時悟りました!すごい手術だったのね・・・!と!
私の足の細い方の骨と、足首にはすごい数の金属が埋め込まれてました。
とにかく、四方八方からうわ〜〜〜〜って、ネジやらプレートやら。
適当なレントゲン
それからジェームス、私の足を触って「ちゃんと感覚があるか」「指は曲がるか」など
質問してきました。「うん、しっかり感じる」けどな

全然足首動かんし、足の指を反らすことができひんのです。ふくらはぎに力が入りませんのです。
ジェームスは頑張って、タオル・壁などを使って、しっかり伸ばすこと。と言いましたが

もうできる気がしないのです。
怪我をしていない左足首の可動域はわかるのですが、右足は20度くらいしか
曲げられないのです。無理やん〜。

しかももう手術して、グラグラするはずのない足を持ち上げるだけで
高いところからフッ落ちるみたいな、そんな怖さがあって、足はちゃんとくっついているのに
足だけ、ガクッと、落ちそうな・・・そんな感じです。(伝われand理解してくれ)

ジェームスが
「シャワーもしても良いし、今日から着脱可能なエアーキャストに変えるね」と説明してくれ、大喜び!
やった!これで私の足もイッチー&スティンキーエニモア(もう痒くない&くさいの意)やん!

そしたら、近所の公園にもお散歩に行けるし、自分で足を洗うこともできるし
1ヶ月くらい洗っていない隠れていたところも、ゴシゴシ石鹸とお湯でしっかり洗えるわけですよ!
本当にこの日を首を長くして待っていたわけで!

ファ〜! 昇 天 ! だったのですが
ジェームス、荒ぶりました。

「今日、そのホッチキス全部取るわ」


え!
今日!
この!
お肉食い込んでる!
足の!
ホッチキス!
取るん!


え!

しかも麻酔なし!


続く!


↓傷口大丈夫な方はこちら↓

今からこのホチキス全部取るんだってよ。

続きを読む

いつもブログを読んでくださり、ありがとうございます。
次の「ギブスから解放の章」に行く前に、今までに起こったことハイライト。
記憶にございません
このブログは全ては私の日記をもとにした、ノンフィクションお送りしています。

4月1日:関西空港から出国、ハワイでトランジット。
初めてアメリカのオレゴン州ポートランドに到着。アメリカ移住生活開始。

4月24日:お世話になっている旦那さんの実家のデッキ撤去工事開始。

4月25日:デッキ撤去の際、デッキの下部が腐食していたため、
近くでみていた私が逃げきれず、デッキのフレームの下敷きに。頭と足を強打。
そのまま緊急病院へ搬送。「右足腓骨と足関節骨折」。ギブス生活開始。
meg-crutches1
4月27日:深夜に吐き気が止まらなくなり、一睡もできず。
そのまま朝に2度目の緊急搬送。事故後のショックが原因。2時間の点滴。
2回目の搬送
4月29日:初めての外科医での診察。外傷がひどいため、手術が1週間後となる。
ここで新しいギブスに変更。少しずつ腫れが引いていくが、剃刀で肌を削がれるような感覚が襲う。
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4月30日〜:毎日のように、悪夢を見るようになる。よく眠ることができず
少しずつ、精神が崩壊していくのがわかる。ほぼ寝ているか、泣いているかの状態になる。
骨折は孤独だ7
5月2日:事故後初めて、お風呂に入る。
ちょっとだけ人間らしい暮らしができるようになる。
お風呂2
5月7日:人生初めての全身麻酔手術。手術は1時間ちょいなのに、死ぬほど寝た。
手術ではプレートと、ボルト固定。2週間後に経過観察とのこと。
手術後
5月8日:「オキシコドン」の服用開始。痛みに負けて、4つ服用するも
眠くて眠くて、寝てばかりいたため、丸2日くらい記憶喪失。
手術後の足
5月9日:高額請求書を見て、アメリカの医療保険制度に驚く。
後日、医療保険からお金は入るものの、一旦は払うことになるため
義理のお母さんにお金を建て替えてもらうことに。
本人評価額
5月10日〜手術後から1週間ほどは、すこぶる、調子が悪い日が続いており、階段を降りて
家族と食事を共にすることもできない日が続きました。

毎日足がうずいて、眠れないし、途切れ途切れの睡眠をとる毎日。
本を読んだり、英語のアプリをやったり、ブログを立ち上げる準備などをしながら
ほとんどの時間をベッドの上で過ごしました。
オキシコード飲んだひ
骨は手術によって、安定しているのですが、絶対負荷はかけてはいけない状態。
むくみを防止するために、足を高く上げている必要があったので、快適な生活ではありませんでした。

しかもこの時は、かなり精神的にしんどい時期でもありました・・・
アメリカのおうちにお世話になっているだけでも、申し訳ないのに
ケガまでしてしまって、さらに申し訳ない気持ちでいっぱいになり。

「お水を持ってくる」「お風呂に入る」「お菓子持ってくる」など
全てのことが、一人ではできないそんなストレスがすごかった!

なぜなら、何かしたいことがある→松葉杖で移動→両手が使えない→持ってこれない
からなのだ!なんたる不便!そして体力がどんどん無くなってゆく・・・

なので、病院のドアが「引き戸」だったときや「スロープ」の角度が急勾配(松葉杖にとって)
だった時には、本当にキレていた。私をなんだと思っているんだ(謎)

今思えば、コンビニとか引き戸やし、JRも昔はエレベーターなかったし
全ては「健常者」が利用しやすい世界であって、それに今気がついてしまった私自身にも
かなりムカついてしまった。

NPOで働いていた時に、障がい者の人たちのために働きたい!と思って
入社したんだけど(アメリカ行きが決まったので2ヶ月しか働けなかった)

本当に、私は「障害」ってものを何もわかってなかった。
こんなに不便で、色んな人の助けがないと、何もできないってことも知らなくて
この怪我がなかったら、こう言うこと分からずに生きていたんだろうと感じます。

確かに今の状態は「不便」だとは思うけど、今の私は「不幸」だとは思っていなくて
ある方のブログを読んだ時に「美味しいご飯が食べられて、生きてるだけでいい!」と言う
ようなことが書かれており、そうだよなあと、心から思います。

このブログを読んでくださる方にも、お礼を言いたい。
本当は「初めてのアメリカ☆キラキラライフ」をお届けしたかったのですが
そんなの読んでもきっと誰も読まんだろうと。

この骨折によって、イラストを描くのを仕事にしようと思ったり
またライターとして、文章書いてみようかなと考えるきっかけにもなりました。

これからのリハビリが長くて、まあままキツイかと思いますが、
昨日よりちょっとでいいから、良い日にしようって、地道に努力するしかないわな。
他人と比べず私のスピードで乗り越えていけたらと思います!
megu-kanada-ashi1
それでは第2章〜脱ギブス生活に移る!
※ちなみに私、ブログでずっと「ギブス」を使っていますが、椎名林檎好きなので。
あと英語では「キャスト」です。


オキシコドン!と言うお薬と飲みまくってた話は、すでにご承知かと存じますが。
(追記:日本では違法薬物なんだって!WOW)
副作用:うんこ硬くなる に関しては、舐めすぎていた。

本当に石みたいに硬くなった。
※今日はうんこの話しかしないので、お食事中の方はお控えください。


普段からお水をたくさん飲むようにして、毎日2Lはボトルで飲んでいたんだけど
まあ出ないよ、うんこよ。
オキシコード飲んだひ2
毎朝のスッキリがないと言うか、何と言うか、出そうで出ないと言うか
問題が、足首が曲げられんので、踏ん張ることもできないんですよ。
海老蔵みたいな顔して頑張ってたけど、無理だったよ。

海老蔵に悪いわ、謝るから許して。

そんで4日くらい経った時に、お腹がぽんぽこぽんになって
トイレに駆け込んだら、今度は出口に対して、うんこ!デカすぎて!
出られないんですよ!

残便感すごい!そこにいるのに、出会えない!

義理の妹ちゃんと、シェアしているトイレなのに、そんなこもることもできんし
あ〜これ、便秘で死ぬとか聞いたこともあるし、死因:便秘とか無理やん。

ググったところ「姿勢を変えてみてね」とある。
出口が真っ直ぐになるように、前屈みになってみてね!ってことでやってみるも
↓こんな感じ
うんこでない2
出ない。そう言う問題じゃないらしい。

生物学研究していた旦那ちゃんに相談すると「肛門は、大きくなれるから、頑張って」らしい。
アロエジュース飲んでみたり、お腹を「の」の字にマッサージしてみたり。

追い水に、追い水を重ねて、もう2L行ったろかい!って感じに水を飲んだけど
無理だった。

旦那ちゃんにまたまた相談すると、病院でやっているの試してみるか?とのこと。
方法は「ゴム手袋をして、指で直接出口にあるうんこを掻き出す」て言う怖いことを言い出した。
うんこの話
それは・・・もうお嫁にいけないから無理!
「もうお嫁行ってるから大丈夫」とのこと。世の中にいるのか?
旦那さんにお尻からうんこ掻き出すの手伝ってもらう人。(私か!)

ど う し て も 嫌
だった私は、腰のクネクネ体操。ヨーグルトも山ほど食ったり
立ってみたり、座ってみたり、軽く運動もしてみた。
ブラブラ体操アゲイン。
ブラブラさせるだけの運動
でも聞いたのが、出口周辺をマッサージすること。
割とこれ、いい感じだった。(何かのブログに書いてた!)
あとは色々お尻で歩く体操!これやってたら、なんか便の向き?
変わったのか、頑固なやつ、一瞬油断したのか、ちょっと出てきました。
うんこでない1
そして、1番のポイントは、ガッツリいきまない事だったらしく。
もう無理やんと、あきらめかけてリラックスして、便器の上で三角座りしたのも
よかったっぽいです。ラスボスが降臨したことによって、他のもスルスルいい感じになった。

なんか、何の日記これって感じですが、本当に大事な話だったので書きました。
みなさま、オススメはビオフェルミン飲んだら、コップいっぱい水飲むことですわよ!

ああ、有益な情報書いたわね、感。
マンセー!!

アメリカで骨折して、1ヶ月、足首2ヶ所と腓骨にプレートとボルトを入れる
手術をしました。(手術の記事はこちら↓)

手術代の請求書が届いたので、早速確認してみました。すると・・・

Total 25,000ドル

25,000ドル?桁わからん!いくらやねん?

本人評価額
※皆さん何でも鑑定団ってご存知ですか?本人査定額のやつ面白いですよね

日本円にすると約274万円!?
工工エエエエェェェェェヽ(゚Д゚;)ノ゙ェェェェエエエエ工工

え!274万円?!1時間の手術だけで!たった半日入院だけで?!
手術後
アメリカの医療費はものすごく高いと聞いていたのですが
予想通りというか、予想を超えてきたというか。

アメリカの医療費の高さを目の当たりにしましたね。
破産する人も多いとか、望む治療が受けられないとかいいますもんね。

しかしながら!痛みに耐えながら予定の手術日より、1週間待ってよかった。
予定の手術日だったら、アメリカきた瞬間に破産してた。

「オバマケア」に加入できたおかげで、ホームレスにならずに済みました。
臓器を変なバイヤーに売らなくて済みました。お母さんにお金送金頼まなくて正解でした。

アメリカの医療費は全額負担というわけではなくて、
保険会社から、負担分が引かれて、請求されるわけなんですよね。
なので実際に払ったお金は、900ドル。まさかの97パーセントオフ?

さらにさらに、火災保険でそれもカバーしてくれるそう。

すごい!私が無職なので、オバマケア、結局は2.5ドルしか払っていないのに
なんてカバー率なんだ・・・!

骨折した瞬間に「あぁ、なんてことだお金かかっちまう!」「アメリカの救急車は高い!」と
意識が朦朧とする中で、思ったのに!

ちゃんとカバーしてくれて、とても嬉しく、目の前にいたらオバマを抱きしめてるよ。
みんな、アメリカの医療費を舐めてかかったらいけません。
オバマ
ちなみに最も気をつけるべきは「同じ場所の同じ骨折」これはどう考えても、こればかりは、保険が下りない気がする。

骨折経験者から言えるのは、海外旅行行くなら保険は「ケガ・救急車・病気・入院」きちんと
カバーしているものを選んでください・・・・

単独渡航の場合、もっと言えば、スキー・スノボ・サーフィンなどのスポーツする場合は
また違う保険加入が必要かもしれないので、カバーしているかちゃんとみといたほうが良いよ!

続く!



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手術後、経過は順調で以前のように、剃刀で肌を削がれているような感覚や
骨が中でグラグラしている感じはなくなっていたものの

「食いしばるほど痛みが強い場合」に備えて、ドクターからお薬もらっていました。
それが、このお薬。「オキシコドン」と言う薬です。
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そのお薬を飲んでいると、ど〜も気分が良くなる〜♪そして痛くもないし、かゆくもないし調子が良くなるので起きてたら家の中を松葉杖をついて、ぐるぐる歩いたり、ヨガをしたり。
オキシコード飲んだひ1

ただ副作用として気持ち悪くなるので、一緒に酔い止めの薬も飲んでいました。

飲む前から、旦那ちゃんに「すごく強いお薬なので、あまり飲まないように」と言われていて、でもうっかり2〜3回飲んでしまっていたのだった。

とりあえず、ベッドで「オキシコドン」を検索。これがびっくりだった。

オピオイド系の鎮痛剤のひとつで、アヘンに含まれるアルカロイドテバインから合成される半合成麻薬。1996年のWHO方式がん疼痛治療法においては、3段階中の3段階目で用いられる強オピオイドである。
アメリカ
では手軽で効き目が長続きすることから、怪我や歯痛など慢性的な痛みを和らげる痛み止めとして利用されており、処方箋を出せば街の薬局で入手できるため乱用が社会問題となっている


ま!半合成麻薬?!アヘン戦争のアヘン?!麻薬飲んでた!ってこと!?

とにかく!警戒すべき薬だったんですって。
そのやばい薬の処方箋を覚えているだけでも3回は出してきたのだが
そら、社会問題にもなるだろうと。(取りにいかんかったけど)

なので、旦那ちゃんと相談して、飲むのは短期間にして
4時間に1個飲むようにしてたんだけど、痛みに耐えきれず、4時間に2個飲むようにした。

だけど、とにかくオキシコドン飲むと、眠くて眠くて。赤ちゃん並みに寝続けた。
でも薬が切れる頃になると、ムクっと起きて(これはすごいと思う)「お薬!」と、いうので、旦那ちゃんもちょっと怖がっていたという 笑
オキシコード飲んだひ
しかし、このお薬の困ったところはものすご〜く、うんこが硬くなるのだよね。(これは別の話なんだけども)旦那ちゃんは、私の呼吸が心配で、オキシコドンを飲んでいる間はベッドの横、つきっきりで本を読んだり、映画見てても、片方はヘッドフォン外すなどして、見守っていてくれたらしいのです。

私の場合は、そんなに痛みが強い!って感じではなかったのですが
手術から何日かして、精神的に不安定になった時に「オキシコドンくれ!」って
泣きわめいたのです。お薬の依存性って、やっぱりあるんだね。

アメリカで骨折手術費用に続く!!



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「ヤバイ、もう手術から2日もすぎてしまってる!」
記憶が飛んでいるし、毎日書いている日記も、支離滅裂で全部斜め向きで
殴り書きされていた。いつご飯食べたのか、覚えていないのも怖い。
記憶にございません
これは「私の頭の中の消しゴム」状態なのでは?!!!
記憶がどんどん消えていく・・・真のラブストーリーの始まりなのでは?

旦那ちゃんに「ご飯食べる?」と聞かれて「旦那ちゃんの食べた後でいいよ私」と答えましたが
なんと夜8時まわってましたよ。旦那ちゃんも笑ってましたよ。時空が歪んでいるんですかね。

ただ1つ旦那ちゃんから言われていたことは、しっかり覚えていました。
「絶対に一人で何もやらないで。」

トイレはまあ良いとして(だって待てない)飲み物取るのも、特に薬!自己判断で絶対飲まないでと。
飲む薬たち
今飲んでいるお薬も、痛み止めと、酔い止め、頓服、2日に1回のビタミン剤に、便が本当に硬くなるので、整腸剤(これはまた後日書きます)そんな感じで、何時に何飲んだか管理しないといけなくて、それを旦那ちゃんがやってくれてました。

ハイハイわかってんよ、と。
わかっているのですが、私の頭の中の消しゴム、大活躍。
飲むなと言われたら、飲む。飲めと言われたら、飲まない。
手術からの帰宅後3
麻酔が切れる頃には、少しずつ骨の痛みを感じるようになり、自分で管理し始めました。
痛みが記憶を呼び起こしました。

しかし、主治医ジェームスに言われたので、足の親指に力を入れる体操をしないと
いけないのです。それが、私が唯一できるミッションなのです。

この運動を行うことで、足の指に力が入るようになるため、歩く時に
グッと、力を入れることができるそう。

ブラブラさせるだけの運動


手術後の足は、すごく安定しているように感じ、多少のブレにも耐えられそう。
私には全然体力がないので、ギブスをつけたままできる、足パカ運動をやったりしました。

ここに来て思うのは、人間って強いなあ、ということ。
事故発生時には「激痛」で、グラグラしていた2週間からの、1時間程度の手術で
こんなにも安定するなんて!もうあの「激痛」も覚えていないくらい。

人間は忘れゆくものだけれども、この不便さは一生忘れんであろうと。
そして、もっと慎重に生きていこうと。思いましたよね。

麻薬を飲む!に続く!


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